以前、体を壊して、精神的にもボロボロで、
なんだかもう何をしていても泣き顔になってしまうような時期があったんだけど、
そのとき、音楽は生きていく上で必要不可欠なものではないって思ったのね。
だって、まともに音を聴ける状態じゃなかったもの。
音楽も町の雑踏も、救急車のサイレンも
なにもかも同じくらいに不快でつらかった。
おんがくは娯楽
元々そういう考えがわたしは強くて、
感傷にひたる材料になることはあっても
苦しみから抜け出す薬にはならなかった。
だから人生になくてはならないものだと思わなかったし、
極端に「がんばろう」と歌う応援歌を嫌った。
でも、この苦しい時期に、
矢野顕子さんのアルバムだけは聴けることにあるとき気付いたの。
それがすごい不思議だった。
テレビの音だってつらい、小鳥のさえずりも聞けない、ひどいときは普通に立っていられないほどだったのに、
どうしてこの人の声だけはこんなに優しいんだろうかって不思議だった。
それからはずーっと聴いてた。
本当にずーーーっと。
初めて音楽に癒やされた瞬間。
楽しい気分になれるとか、
幸せな気持ちになれるとか
そういうことじゃなくて、
本当に鎮痛剤みたいなもの。
やっぱり、人生に必要な音楽はあるんだと思った。
嗜好品としてだけではなくて、
人を支える材料になり得るんだって思ったの。
だけど、実は本当に本当に苦しいときに痛みをやわらげられるのは、
曲でも歌詞でもなくて
「神様から選ばれし声」
ただそれだけなのかもしれないとも思った。
あたたかい手のような
生命体から発せられるエネルギー。
歌声。
人の心を震わせるのは総合的な「音楽」でも、
人の心身を危機的状況から救うのは「声」
それだけな気がした。
それから、逆にわたしは歌詞と真剣に向かい合うようになりました。
歌詞の限界に挑戦していくというか・・
うまく言えないけど、
誰が歌ったとしても、誰かを救うことができる言葉があるんじゃないかとか思ったりして。
声だけに癒やされた経験の逆の発想ですよね。
人生に寄り添うんじゃなくて、
人の生命を支える音楽ってなんだろう?とか、
弱っている人を救うこととは逆に、
音楽は有り余るエネルギーをひとつに束ねるものだったりもするわけで、
群集を動かす音楽ってなに?とか、
そういうことを考えるようになったんです。
まだつたない想い
でも忘れてはいけない感覚だなーって
最近歌詞を書いていて思うんです。
ふと遠い昔を思い出して、
なんだかわたしのブログらしからぬ暗いものを書いてしまいましたが、
わたしは 元気です、なうw




















